2009年06月21日

政府広報(government public relations)

政府広報(government public relations)とは、日本においては内閣府大臣官房政府広報室が実施する内閣府設置法4条に基づく広報及び広聴活動のこと。主な活動は新聞・雑誌・テレビなどへの広告出稿やインターネットホームページを通じた広報及び世論調査、国政モニター制度による広聴。

敗戦後はGHQにより情報局が解体された際に、政府内部及び地方庁との連絡体制まで崩壊していたため各省庁の広報活動が相互連絡不十分で能率が悪く、地方庁の広報活動にも支障が生じていた。そのため、都道府県からの要望により総理庁審議室において各省庁の広報の実施と予定について情報交換の場として月例の「各省庁広報主管課長会議」が開催されるようになった。
思い出の童謡集
アジアの歴史
太陽のお話
百人一首
やすらぎ★アロマ
かわいいペット・秋田犬
紅茶伝説
医学・女性のための情報集
バラ・ローズのため息
楽しいかたかな
テーマパーク
狂言
クロマトグラフィ
軟体動物
産科学
同人誌
博物館
図書館
振付師
生化学

その後、政府が実施する広報について広報参与という形で民間人を起用するなど体制の強化を図ってきたが、広告業界の人間を公職に起用して広報契約を行うことに公正性の問題が指摘されるなどしたため、広報に関する業務を総理府総理大臣官房審議室から独立させることとなり、1960年(昭和35年)7月1日に内閣総理大臣官房広報室が設置された。

1977年(昭和52年)に「政府広報シンボルマーク」を策定し、以後政府広報にかかわるものについては基本的にこのマークが掲載されている。かつてはCMの際に「ちょっとお知らせ」というサウンドロゴを用いていた。俳優や歌手、スポーツ関係者といった有名人がCMに起用されることもある。

テレビやラジオのスポット広告ではエイズ予防など抽象的な啓発広告を手がけることがあるため公共広告機構(AC)の広告と混同されることがある。いわゆる一般的な広告(コマーシャル)の他、5分?30分程度のテレビ・ラジオ番組(政府広報番組)が制作・放送されることもある。

2009年06月03日

明治時代の末から大正時代の初めにかけて

明治時代の末から大正時代の初めにかけて、大企業や官営工場が熟練工の足止め策として定期昇給制度や退職金制度を導入し、年功序列を重視する雇用制度を築いたことに起源を持つ。第二次世界大戦終戦後、人員整理反対の大争議を経験した日本の大企業は高度経済成長時代には可能な限り指名解雇を避けるようになり、また裁判所が「解雇権濫用の法理」によって実質的に使用者の解雇権を制限するようになり、終身雇用慣行が定着した。

しかし、1990年代から2000年代にかけて、多くの日本企業は円高や国際競争、平成不況の中で、人件費の圧迫と過剰雇用に直面し、雇用の調整が大きな経営課題となった。これに対して、いったん雇った期間の定めのない従業員を解雇する際には、上述のように、場合によっては解雇した従業員からの解雇権濫用による解雇無効訴訟のリスクを抱えてしまい、相当の覚悟がいる。

このため、過剰な雇用に直面した企業は、まずは新規採用の抑制を徹底させたといえる。こうした因果関係をもって、終身雇用の維持が、かえって若年の新規採用にしわ寄せを与え、若年層の非正規雇用を増やしたという指摘もある。
アルバイト 結婚 メンタル おもちゃ 包茎 化粧品 プリスクール 特産品 海外留学 公園 ケア 国内 ネイル 求人募集 老人 人探し クレジット リフレ 菜園 アロマ 乗物 ステイ 近畿東海 外国語 旅行 健康 増客対策 やせる 行政書士 出会い アロマ リフォーム タロット リフレ 美容 アロマ お土産 語学 キャンプ場 海外 スポット ケア 転職 子育て 法人設立 実益 アロマ 自動車 美容整形 古着

一方、「期間の定めのない」従業員の解雇が難しいとしても、事業所や事業部門を分社化して、再雇用するという手法を使えば、人件費を圧縮することは可能ともいえる。その場合、雇用は維持されるとしても、給与などの労働条件は大幅に下げられるのが普通である。そこで、終身雇用制度は見かけほど強固なものではなく、若年層の新規雇用にはそれほどの影響を与えていないという見方もある。

経営状態の悪化や事業縮小(撤退)など理由により、企業側の都合で安易な解雇が横行するようになった結果、自社の重要な知識や技術あるいはノウハウを持った人物が他社に移ると、かえって事業展開に脅威となることが企業側にも理解されてきた。そのため、高度な技術的知識あるいは特殊なスキルを持つ人物を事業上の必要がなくなっても解雇せず、他部署に配置転換して雇用を継続することが行われる。また、労働組合関係者や地元有力者にコネがある者など、解雇すると紛争発生が懸念される人物も同様な措置が取られる。雇用が継続されるため、一見、労働者にとって有利なように思えるが、配置転換先では戦力として期待されず重要な仕事を任されないので、仕事のやりがいの点でストレスを抱え込むことになる。

さらに最近では、競合企業への技術流出防止や秘密保持のため、定年延長により高度な技術的知識あるいは特殊なスキルを持つ人物を囲い込むことや、重要部署に派遣されていた派遣社員を正社員として雇用することが多い。

飼い殺しの例
ゴードン・マレーはマクラーレンの車体設計者としてチームに数多くの勝利をもたらしたが、レースへのモチベーションを失い退職を願い出た。他チームへの技術流出を恐れたチームは、市販車製作子会社マクラーレン・カーズを設立し自由にやらせることを条件に雇用を継続、技術流出を防止した。

2009年04月30日

困窮からの脱出

1610年、バージニア植民地総督に任じられた第3代デラウェア男爵トマス・ウェストは同年夏にジェームズタウンに到着した。デラウェアは戒厳令をもって統治にあたり、入植者を強制的に労働に従事させた。家屋が建てられ、トウモロコシが栽培され、植民地はどうにか存続が可能になった。しかし本国に送られた毛皮や材木では、植民地が投資にこたえて利益を生み出せる見通しはまったく立たなかった。植民開始から10年を経た1616年を迎えても利益の配当はなく、それどころか会社は破産の危機に瀕していた。

そんなバージニア植民地に恩恵をもたらしたのは、タバコの栽培であった。イギリスではエリザベス1世時代にウォルター・ローリーによって、タバコが嗜好品として知られるようになっていた。バージニアではジョン・ロルフが先住民族が植えていたタバコに目をつけ、ロルフはタバコ栽培を唱導した。ただしバージニア土着のタバコは悪臭が強かったので、人々は、西インド諸島で開発された風味ある品種を栽培した。バージニア植民地の生活は、タバコ栽培により大きく改善された。

バージニア会社の入植者がジェームズタウンに上陸した当時、バージニア植民地南東部のタイドウォーター地域には2万人近くの先住民族が居住していた。そしてその中心となっていたのがパウハタン族であり、その指導者パウハタンは周囲のアルゴンキン語族の先住民族を支配下に治めてひとつの王国を築いていた。

ジェイムズタウンの入植者は当初、先住民族との友好関係を重視したが、ジョン・スミスが指導者となると、先住民族には強腰でなければ有利な交渉ができないと考え、銃の威力をもって威圧しようとした。そのためパウハタンと入植者との関係は冷戦状態にあった。

そして1609年、対立は戦闘へと発展した。ジョン・スミスはパウハタンとの和解を目指して仲介にあたったが、その年に爆発事故で負傷し、同年12月には帰国を余儀なくされた。

翌1610年、バージニア植民地総督に任じられた第3代デラウェア男爵トマス・ウェストは同年夏にジェームズタウンに到着した。先住民族との戦闘に備え、デラウェアはアイルランド方式の戦略を導入した。そしてパウハタンの村へと侵入し、家屋を燃やし、食料を没収し、トウモロコシ畑に火を放った。
サプリメント・サプリメント関連全国の通販サーチ
マリチエ学習ひろば情報
プラネタリウム 旅行タウン情報
メイク・ネイルケア関連美容整形リンクサイト
賃貸マンション・介護サービス関連ビジネス支援情報
ポイント・養育関連暮し百科情報
美容整形・育毛養毛関連医学トレンディネット
家電・癒し関連ショッピングタウンサーチ
右衛門教育ひろばガイド
マグマラシ 観光タウン情報

だがパウハタンとしては、入植地が拡がらなければ、金属製品などの入手を独占できる点で他の先住民族との関係で有利になると考えていた。そのため入植者との全面戦争は考えず、戦闘は小競り合いに留め、友好回復の機会をうかがっていた。そして、そのような機会を作ったのは、パウハタンの娘、ポカホンタスであった。


2009年04月15日

汎ゲルマン主義

汎ゲルマン主義(独: Pangermanismus、英: Pan-Germanism)とは、ゲルマン民族の勢力拡大を主張する政治思想である。

概要 [編集]
ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世はこのスローガンを掲げバルカン地方へ進出し、汎スラヴ主義と対立し、南下政策を続けるロシアとの軋轢を招いた。後にバルカン半島をヨーロッパの火薬庫と呼ばれるまでに民族の対立を激しくした要因の1つである。この結果、列強間による帝国主義化、軍備拡大は避けられず、第一次世界大戦を引き起こすこととなった。これは、ドイツ統一を牽引し、周辺諸国との勢力均衡を望んでいた帝国宰相ビスマルクの理念からはかけ離れたものとなった。

経緯 [編集]
パン=ゲルマン主義は、19世紀中葉に行われた「ドイツ統一」の理念の拡大であった。ドイツ人の民族主義の昂揚によって、「ドイツ語響く所がドイツである」とまで言われた。このゲルマン主義に協調したのは、オーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世とスウェーデン国王オスカル2世であった。

オスカル2世は、当時ノルウェーを同君連合とし、デンマークを含めた「プロイセン・スカンディナヴィア・バルト中立連合」なるものを構想していたが、デンマークや自国政府の反対により頓挫し、ゲルマン主義から離れてしまった。要するにオスカル2世は、北方ノルマン人もドイツ人と同じ民族であると考えていたが、すでに中立主義が根付きつつあった北欧諸国には受け入れられなかったのである。一方オーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世は、オスカル2世の様な連合構想こそもたなかったが、ドイツ帝国との連携を重視し、バルカン半島への関与を深める為にドイツの武力を利用したと言える。さらに二重帝国内においては、スラヴ系住民を抱え、彼らの汎スラヴ主義への傾倒に苦慮していたという事情もあった。結局、フランツ・ヨーゼフ1世は、ハプスブルク帝国の死守とバルカン問題の狭間で身動きが取れず、ドイツ帝国と共に第一次世界大戦に引きずり込まれ、ハプスブルク帝国の終焉と言う結末を迎えてしまうのである。

ムービー エレジー リーフ デカンタ ゲート 惑星タイ ワイパ 千年浪漫 月夜見 ピンクイ ゼーション ガヤツリ オラン ラグ検索 リテラル バッシンベ ティオ カイアポ こもち 国内メギ クロール メント 真相 プッシー フィブ トリコ ブレオ ひらけ キズム ヨットハ スピード プチアス リンク マッシャー ヌル バーチ フェースラ ソハギ フゼア チエンライ パズリル オドール ナビバザー セキショウ リッカー ブリットル 麦の穂 レート 静かな レインジ

2009年03月31日

朝青龍明徳

朝青龍明徳(あさしょうりゅう あきのり、1980年9月27日 - )は、モンゴル国出身の力士で第68代横綱。本名 Долгорс?рэнгийн Дагвадорж;(Dolgorsürengiin Dagvadorj、ドルゴルスレン・ダグワドルジ)。

「平成の大横綱」とも形容される。四股名の由来は、高校在学時に世話になったという高知県土佐市の青龍寺で、また、「明徳」という名前は出身校である明徳義塾高等学校にちなんで名づけられた。

愛称は本名からとった「ドルジ」。また、スポーツ新聞の見出しなどでは「朝青」という略語も見られる。

左利きであり、塩を左手で撒く数少ない力士の一人である(左手で塩を撒いても作法上問題はない。また、ちゃんこを食す際、箸も左手で持っている)。

兄はレスリング選手、総合格闘家のドルゴルスレン・スミヤバザル、プロレスラーのブルー・ウルフ。

入門
15歳でモンゴル相撲を始め、ナーダムの相撲少年の部で優勝した。

1997年に日本の明徳義塾高校に相撲留学し、2年後に若松親方(当時、現高砂親方)によるスカウトにより、高校を中途退学して角界に入門した。

横綱昇進以後

2002年/2003年
2001年1月場所に新入幕し、翌年7月にモンゴル出身の力士として初めて大関に昇進し、同年11月場所、翌年1月場所に連続優勝して横綱に昇進した。ただし2002年9月の貴乃花戦に敗れた際、花道を引き上げる際に「畜生!」と大きな声で叫んだり、支度部屋で「怪我をしている左足を狙えばよかった」と発言したりするなど、当時からその品格が問題視されていた。

2003年結婚する。またこの年、長女が誕生する。同年5月場所、モンゴルの先輩旭鷲山との対戦で敗れた際土俵上で審判に対して物言いを要求、肩がぶつかった旭鷲山をにらみつけ、さがりを振り回した。さらに翌7月場所の対戦では髷を掴み反則負けとなり、取組後の風呂場で口論となった後に旭鷲山の車のサイドミラーを破壊。この場所は頸部挫傷により途中休場した。

2004年/2005年
2004年1月場所・3月場所で、2場所連続全勝優勝(30連勝)を果たした。

5月場所は6日目(同年5月14日)に平幕の北勝力に敗れて連勝が35で止まり、最終的にこの場所は2敗となったが、千秋楽(5月23日)にモンゴルの後輩、白鵬が立合いの変化で北勝力を破って「援護射撃」を果たすと、自身も結びの一番に勝って迎えた優勝決定戦で北勝力を破り3場所連続優勝を達成。部屋、一門の枠を超えて白鵬と喜びを分かち合った。

7月場所も13勝2敗で優勝。1996年の貴乃花以来となる、4場所連続優勝。2004年11月場所から7場所連続優勝(従来は1962年7月場所?1963年5月場所、1966年3月場所?1967年1月場所に2度記録した大鵬の6場所連続)、2005年には年間6場所完全優勝(従来は1966年の大鵬、1978年の北の湖、1986年の千代の富士、2004年の自身の5場所)、年間成績84勝6敗(従来は1978年の北の湖の82勝8敗)と、様々な記録を更新した。

2006年/2007年
8連覇を目指した2006年1月場所では11勝4敗に終わる。翌3月場所は優勝したものの白鵬に決定戦進出を許し、5月場所では2日目の若の里戦に敗れた際右肘を痛め3日目から途中休場するなど、同年前半は力の衰えも指摘され始めたが、7月場所に復帰すると11月場所の全勝を含め翌2007年1月場所まで4場所連続優勝し、史上5人目、外国人力士では初となる20回目の優勝を果たした。同場所千秋楽翌日の1月22日、週刊現代に自身の八百長疑惑が掲載された。後に朝青龍をはじめとする現役力士と協会が起こした訴訟で、東京地方裁判所は被告である講談社側に、朝青龍へ1100万円を支払うことを命じた。詳細は武田頼政を参照。

翌3月場所は初日から2連敗。その後は連勝を続け、千秋楽で千代大海を立合いの変化で破って13連勝し優勝決定戦に持ち込んだものの、決定戦では逆に白鵬に立合いの変化で敗れた。

さらに5月場所は9連勝の後10日目に安美錦に敗れると調子を崩し、12日目からは4連敗で10勝5敗に終わり、横綱昇進後初めて2場所連続で優勝を逃すとともに、白鵬の連覇と横綱昇進を許した。翌7月場所では初日に再び安美錦に敗れ、前場所から続けて5連敗を喫した。これらの不振に関しては前述の八百長疑惑報道の影響も指摘された。2日目からは14連勝し、3場所ぶりの優勝、新横綱白鵬に対し先輩横綱としての意地を見せるとともに復活を果たしたかに見えた。

しかし同場所後の7月25日、「左肘内側側副靭帯損傷、左尺骨神経障害、急性腰痛症、第5腰椎疲労骨折で約6週間の休養、加療を要する」とした診断書を協会に提出、夏巡業(8月3日から20日まで)の不参加を届け出たが、当人がモンゴルで中田英寿らとサッカーをしている映像が同日報じられ、仮病疑惑が噴出[1]。巡業部は帰国後の巡業参加を拒否する方針を固め[2]、8月1日には日本相撲協会から2場所出場停止、減俸30%4ヶ月、九州場所千秋楽までの謹慎の処分を受けた。

当時の理事長の北の湖親方はこの際「あいつは意外と気が小さいから」と述べて、角界から朝青龍が去ってしまう可能性を危惧したとも言われている[3]。また同時に師匠の高砂親方も減俸30%4ヶ月の処分を受けた。この処分に対し日本並びにモンゴルのマスメディアが大々的に報道、在モンゴル日本大使館ではこの処分に対して市民が抗議デモを起こした。また在日モンゴル大使館は7月31日、「サッカーはモンゴル国主催のチャリティー大会のイベントであり、日本外務省を通じ半ば強引に参加を要請したもので、大変なこととなり迷惑をお掛けした」と日本相撲協会に対し謝罪した[4]。

同月27日には、日本経済新聞等で「東京国税局の税務調査を受け、テレビ番組やCMの出演料などの一部を申告していなかったなどとして、2005年までの3年間で約1億円の申告漏れを指摘されていた」ことが報道された。追徴税額は過少申告加算税を含め約3000万円であった。

同年8月6日には、心療内科医・本田昌毅の往診により「神経衰弱および抑うつ状態」との診断を受けていた[5]ものの、後に協会医務委員会が紹介した精神科医により解離性障害と診断されたと発表。協会は謹慎処分を一部訂正しモンゴルへの帰国を承認した。これを受け同月29日に治療をするとしてモンゴルへ帰国した。

9月場所を出場停止処分により全休したため、11月場所では新横綱であった2003年3月場所以来となる西横綱となった。

11月場所千秋楽(11月25日)を終えたため、当初の決定通り謹慎を解除され、11月30日にはモンゴルから93日ぶりに再来日した。同日夕方に謝罪会見を開き、朝青龍本人が一連の騒動について謝罪し、会見後は臨時横綱審議委員会(横審)で謝罪と経緯説明をおこなった。

12月2日から大分県豊後大野市で始まる冬巡業に参加して、7月場所千秋楽以来133日ぶりに土俵に復帰した。初日の横綱白鵬戦では寄り切りで勝利した。

12月21日朝、横綱審議委員会で脚本家の内舘牧子が事前通告なしに稽古を視察するため高砂部屋を訪れたが、朝青龍の稽古が休みで肩すかしを食う。さらに内舘が朝青龍に「癌を克服し現役に復帰したプロレスラーの小橋建太を見ならいなさい」と発言した。

2008年
2008年1月13日、1月場所で前年7月場所以来の土俵復帰。約5年ぶりの西横綱となったためか、初日の土俵入りの際、西横綱は本来は左足から土俵中央へ歩み寄るところを、長年東横綱として君臨していた癖で、右足を先に出すというミスも見られるなど、当初は2場所ぶりの復活で「相撲勘」を取り戻せるかどうかが話題となった。注目された初日は琴奨菊戦で快勝するも、2日目の稀勢の里戦では豪快な送り倒しを決められ、早くも土がついた。また3日目には観戦していた内館横審委員を土俵上で睨みつける(本人は否定)[6]など、本来の横綱の風貌が戻ってきた。その後は不安定な取り組みがありながらも勝ち星を積み重ね、14日目まで1敗で東横綱の白鵬と並び、2002年9月場所の武蔵丸 - 貴乃花戦以来、約5年半ぶりの横綱同士による千秋楽相星決戦となったが、過去に類をみない白熱した大一番の末、白鵬に豪快な上手投げで破れた。

2008年3月場所では11日目までは全勝で、2敗で追う白鵬を引き離していたが、12日目で土がつき、翌13日目では対朝青龍戦28連敗中だった大関琴光喜が、連敗記録歴代2位[7]という屈辱の記録に終止符を打った。そして14日目には両横綱共に2敗で並び、1995年3月 - 5月場所の貴乃花 - 曙戦以来、約13年ぶりの2場所連続の千秋楽横綱相星決戦となった。結果は朝青龍が小手投げで勝利し22回目の優勝を決めた。この優勝で優勝回数が貴乃花と並んだ。

2008年5月場所では、出場停止中だった2007年11月場所以来の東横綱となったが、初日に稀勢の里に敗れた。その後は連勝したが11日目にこの場所初優勝した琴欧洲に敗れ、翌日以降さらに千代大海、魁皇にも敗れて3連敗となり、優勝候補から外れた。翌日は琴光喜に勝って連敗を止めた。千秋楽では横綱白鵬に引き落としで勝ったが、この直後に負けて土俵上で四つんばいになっている白鵬を横から駄目押し、その行為に対し白鵬が立ち上がりながら朝青龍に右肩をぶつけ、両者がにらみ合う事件が起こった。[8]この事件で北の湖理事長が朝青龍と白鵬を厳重注意した。[9]

2008年7月場所では、場所前の稽古不足や右足首痛などで不安視されたがそれが的中してしまった。初日に豊ノ島に上手投げで敗れた後2日目から3連勝したが、5日目に栃乃洋に押し倒しで敗れた際に左肘を痛め6日目から途中休場。朝青龍の休場は2007年11月場所以来、途中休場は2006年5月場所以来のこととなった。
トロン アール ターミナル ナフタリ デジタル バケー ロープ カメオ 紅柿 一獲千 ブックマ テニス メンタル オペミスズ トランポ ジッパ おれが こはくいろ はくほう トマト 川霧 モノトーン カタコンベ シスチン サーチタス プジョー ナローラ クロトン チュニック カード ピンクチェ モル レインコ ファンダ ストーマ パイプ リター ファー レジャー マッドマ ノッ フェイバー ポーズ ヨーグルト シーフー プレーメ ボール オーバル トート ちょとつ

2008年9月場所では中日までに、雅山、安美錦、豊ノ島に敗北した。豊ノ島戦はテレビ映像では微妙で抗議もあった[10]が、砂に足が付いた跡が残っていたとされる[11]。

引退説まで囁かれたが、大鵬と九重理事(元千代の富士)ははいずれも「(まだやれる事を)考えるべきだ」と述べた[12]。9日目までの5勝4敗という成績を受け、この日武蔵川理事長は休場を勧告し、10日目から休場することとなった。2場所連続休場はサッカー問題で出場停止処分を受けた2007年9月場所と11月場所を除けば自身初となる[13]。武蔵川理事長は復帰後の場所で、進退がかかることを示唆し[14]、朝青龍も進退をかけることを明言した[15]。11月場所は休場。

2009年
2009年1月場所は、場所前の横綱審議委員会稽古総見では調子が良くなく、進退問題も取り沙汰される状況で臨んだが[16]、初日から14連勝と次第に調子を上げ、千秋楽では本割の一番は立ち合いを失敗して白鵬に敗れたものの、優勝決定戦では本割と一転して厳しい攻めで白鵬を寄り切りで下し、貴乃花光司を抜き歴代単独4位となる通算23回目の優勝を果たした。

初場所前はマスコミは進退問題をこぞって取り上げたが、優勝後も「相撲内容は安定感を欠いた」「稽古は不十分」「力の衰えを感じさせた」とバッシングを続けている。中には「4日目までに2勝2敗、7日目までに4勝3敗だったら、引退に追い込まれていたかもしれない」(産経新聞・奥山次郎)[17]、「軍配は白鵬、動が静をわずかに上回った」(毎日新聞・武藤久)[18]とタラレバを論った批判まで存在する。 2009年3月場所は、初日から9連勝と全く隙のない相撲を見せていたが、10日目に過去14勝2敗と圧倒していた日馬富士に敗れてからは自分の相撲が取れず、結局11勝4敗に終わった。

主な成績
2009年3月場所終了現在

通算成績:609勝158敗76休(62場所、勝率.794)
幕内成績:536勝138敗76休(50場所、勝率.795)
横綱通算成績:403勝76敗76休(37場所、勝率.841)
年間最多勝:2002年(66勝24敗)、2003年(67勝18敗5休)、2004年(78勝12敗)、2005年(84勝6敗・現在の新記録)、2006年(67勝11敗12休)
金星:1個(武蔵丸)
負け越し:7回(途中休場場所 4回、出場停止2回含む)
2ケタ勝利場所:35回
全勝優勝:5回(2004年1月場所、2004年3月場所、2005年1月場所、2005年5月場所、2006年11月場所)
連勝:35連勝(2004年1月場所初日?2004年5月場所5日目)
連覇:7連覇(史上最多、2004年11月場所?2005年11月場所)
各段優勝
幕内優勝:23回(優勝回数は単独歴代4位、うち全勝優勝5回は歴代4位)
幕下優勝1回
三段目優勝:1回
序二段優勝:1回
三賞:6回
殊勲賞:3回
敢闘賞:3回

エピソード
2009年3月場所現在、初顔合わせの相手に30連勝中である。
ジムでの筋力トレーニングを積極的に取り入れている力士の一人で、上腕二頭筋を用いてダンベルを持ち上げるダンベルカールでは、片腕で52.5kgを持ち上げる[27]。
以前高砂親方がゲスト出演した番組「女と男 聞けば聞くほど…」の出演記念のマグカップをいつも持ち歩いているが、これは若い頃ゴミ捨て場で拾ったものである。苦楽を共にしたマグカップなので、朝青龍本人は『力の源』と話している。
細木数子を「日本の母」と慕っている。同時に、日本の父と慕っているのは特等床山の床寿である。[28]
亀田三兄弟とも親交が深い。亀田興毅からは「兄貴」と慕われている。
第1子誕生を報じた2003年4月8日の日刊スポーツの記事に激怒し、2日後茨城県内の巡業先でその記事を書いた韓国人記者を「バカ野郎」、「このクソ外人」、「キムチ野郎」と罵倒した、と週刊誌[29]で報じられた。この際韓国人記者からの誘導尋問があったという説が流布しているが、これは2ちゃんねるで創作された書き込みが事実であるかのように各方面にコピー・アンド・ペーストされ広まったものである[1]。
2004年3月場所後の春巡業において、一門の枠を超えてモンゴル出身力士を集め、特別指導を実施した。
日馬富士とは違う部屋でありながら非常に仲が良く、場所中にもかかわらず一緒に夜の街へ繰り出すほどである。2007年1月場所14日目には豊ノ島を破って優勝を決める「援護射撃」を果たした日馬富士(当時の四股名は安馬)から最敬礼されている。
2004年9月場所、2007年5月場所、2009年3月場所など、優勝の可能性がなくなると力を抜く傾向にある。
自身が負けた力士や将来脅威となりうる若手力士を本場所前に出稽古で負傷させている。2003年11月場所前に同年7月場所で敗れ休場に追い込まれた高見盛に対し、バックドロップのような危険な吊り落としで右肩を亜脱臼させ(この怪我は医者からもう治らないと診断されている)東関部屋から出稽古中止を宣言されたのを皮切りに、白石(現・白乃波)(2005年の秋巡業で首に古傷を抱えているにもかかわらず吊り落とし受け失神させられる)、琴欧州(現・琴欧洲)(2004年秋巡業で右膝内側側副靭帯損傷の重傷。[要出典]琴欧洲はこの際の故障に現在も苦しんでいる)、琴奨菊(新関脇の2007年3月場所前の稽古で通常は5?6回程度のぶつかり稽古を20回近くも行い、腰を負傷。さらに竹刀で尻を叩かれる)、豊ノ島(新小結の2007年5月場所前の出稽古でプロレスまがいの技をかけられ右膝、右足首を負傷。)、将司(2008年の夏巡業で朝青龍が将司に敗れて左肘を痛めた。その報復を受け[要出典]秋場所前の稽古総見で古傷の左足首を故障)など多くの力士が被害を受けている。
2008年1月27日に放送された「新婚さんいらっしゃい!」に元高砂部屋の力士が新婚さんとして登場。朝青龍に子供の名付け親になってもらった事や、新婚家庭のテレビが小さいことを知った朝青龍が、その日の懸賞金を全てこの力士の家に置いて帰ったという話を披露した。

2009年03月17日

龍安寺

龍安寺(りょうあんじ)は、京都府京都市右京区にある臨済宗妙心寺派の寺院。石庭で知られる。山号を大雲山と称する。本尊は釈迦如来、開基(創立者)は細川勝元、開山(初代住職)は義天玄承である。「古都京都の文化財」の一部として世界遺産に登録されている。

「龍安寺の石庭」として知られる枯山水の方丈石庭で有名な龍安寺は、室町幕府の管領、守護大名で、応仁の乱の東軍総帥でもあった細川勝元が宝徳2年(1450年)に創建した禅寺である。衣笠山山麓に位置する龍安寺の所在地は、藤原北家の流れを汲む徳大寺実能以来、徳大寺家の山荘であったところを、細川勝元が譲り受けたものである。初代住職として妙心寺5世住持の義天玄承(玄詔)を迎えた。龍安寺の開山は実質的にはこの義天玄承とされているが、義天自身は2世に退き、自分の師の日峰宗舜を開山に立てている。創建当初の寺地は現在よりはるかに広く、京福電鉄の線路のあたりまでが境内であったという。
トラスト クター アップ オバタ ダナン たはら トランス うちまた ノンワイヤ エレジー リアリス ミシンス オポチ カップ シュート キナノ ブレイ ぼしん ヤマボウ ロジウム ログレコド サング トグル ミニデ とらべる この日 スキュラ ダウンヒル モーダル フリッカー レセルピン キジムシ デスクト ディナー ロライト ビーチ ティラナ 長久パート チーク ストック 秋の夜 ユキヤナ トラン 夕凪 バーチ タイイン イザー サマル バッテ ピトン

龍安寺は、開基細川勝元自身が一方の当事者であった応仁の乱(1467-1477年)で焼失。勝元の子の細川政元と、4世住持・特芳禅傑によって長享2年(1488年)に再興された。寺では特芳を中興開山と称している。その後、豊臣秀吉と江戸幕府が寺領を寄付して保護している。

近世の地誌類によれば、最盛期の龍安寺には塔頭(たっちゅう、子院)が21か寺、軒を連ねていたという(現存するものは3か寺)。『都名所図会』のような絵入りの名所案内書(現代の旅行ガイドブックに相当)を見ると、当時、龍安寺の池はオシドリの名所として知られており、今日有名な石庭よりもむしろ、池を中心とした池泉回遊式庭園のほうが著名であったらしい。

寛政9年(1797年)の火災で仏殿など主要伽藍を焼失したため、塔頭の1つである西源院の方丈を移築して龍安寺の方丈(本堂)とした。

2009年03月01日

ウルトラマン超闘士激伝

銀河連邦主催による第1回銀河最強武闘会が開催された。ウルトラ族、怪獣、宇宙人、地球人など多数の参加者が集まる中に、覆面の謎の男がいた。ただならぬ雰囲気をかもし出す謎の男の目的はただ一つ、ウルトラマンの実力を探ることだった。男はウルトラマンとの直接対決では途中棄権するも、ウルトラマンに深刻なダメージを与える。

傷ついたウルトラマンだが、科学特捜隊から装鉄鋼(メタルブレスト)が贈られ、ウルトラマンは闘士ウルトラマンとなった。決勝戦の対戦相手は謎の男と手を組んだゼットン。追い詰められたゼットンは謎の男から与えられたハイパーカプセルを砕きハイパーゼットンとなるが、闘士ウルトラマンの拳によって倒された。

勝利の余韻も冷めやらぬ内に新たな事件が発生。ウルトラセブンが暗殺者ガッツブラザーズの手にかかって十字架に封印されてしまう。全ては謎の男ことメフィラス大魔王が巧妙に仕組んだ事だった。ウルトラマンはセブンを救うため、試練の星キング星へと向かった。伝説のダイモード・クリスタルを手に入れる過程において闘士ウルトラマンはパワーアップする。

一方その頃、メフィラス大魔王は闘士ウルトラマンがいない隙を付き、ウルトラの星に配下の鋼魔四天王を送り込む。四天王によって蹂躙されるウルトラの星。四天王の2人までは、ウルトラマンG、ウルトラマンジャックの捨て身の攻撃で倒せたものの、全滅は時間の問題だった。そこに闘士ウルトラマンが駆けつけ形勢は逆転。ついにメフィラス大魔王と闘士ウルトラマンの決戦が始まった。

ヤプール編
ループ星人ヤンドの主催による第2回銀河最強武闘会が開催された。そこにはかつて闘士ウルトラマンと戦い敗れたメフィラス大魔王の姿もあった。ウルトラ兄弟全員が闘士として参加した大会では、メフィラスはかつてのような極悪非道な存在ではなく、純粋に強さに敬意を表し追求する武人へと変化していた。

しかし主催者のヤンドの正体はヤプールであり、その目的はこの銀河最強の者 = 超闘士をあぶり出し、大会にかこつけて抹殺することだった。

準決勝まで残ったメフィラス大魔王、闘士ウルトラマン、エースキラー、怪僧マザロンだったが、突如マザロンが豹変し全員を攻撃し始める。実はマザロンはヤプールの手下であり、前述の目的の実行役だったのだ。ハイパーゼットンすらしのぐ桁違いのエネルギーで暴走を始めるマザロン。しかし闘士ウルトラマンとメフィラス大魔王との共闘により、次第に形成不利になっていった。かなわぬことを悟ったマザロンは闘技場ごと自爆を敢行する。だがその爆発の中で装鉄鋼すら弾き飛ばしたウルトラマンは金色に輝く超闘士として覚醒した。マザロンを倒したウルトラマンだったが、彼の肉体は超闘士の気に耐えられず崩壊してしまった。

うやむやになってしまった大会はメフィラス大魔王の優勝という形で幕を閉じたが、それはヤプールによる侵略の始まりでもあった。

メフィラスは超闘士への修行パートナーとしてタロウを指名、辺境の星にこもる。一方怪獣軍団と地球人特捜チーム、そしてウルトラ兄弟はヤプールの侵略に対抗し、からくも防衛線を守っていた。そんなある日、ヤプールコマンドと超獣ブラックピジョンがメフィラスとタロウの修行する惑星にやってきた。成長したタロウはコマンドをいともたやすく倒し、超闘士化までやってみせた。そしてコマンドから情報を得たメフィラスは決戦の時が来たことをウルトラの星に告げ、ヤプールの本拠地へと乗り込んだ。

ヤプールは異次元からの侵略者であった。そして自らの次元からのエネルギーを自在に操り、超闘士化したタロウすら圧倒する。絶望的な状況の中、魂だけのウルトラマンと再会したタロウは、本物の超闘士として覚醒、異なる次元の最強同士の死闘が始まった。

ゴーデス(伝説の破壊神)編
ヤプール大戦の最終局面に於いて、タロウは闘士ウルトラマンが3年後に甦るとの予言を受ける。そして、3年後。彼との再会の日の為に独自に修行を重ねて闘士タロウが帰ってくる。

向かうは、第3回銀河最強武闘会の会場。 仲 間達との再会を喜ぶタロウだが、その場に肝心の闘士マンの姿はない…。

"パワード流派"という独自の武闘術を用いるウルトラマンパワード。その静かなる強さに、タロウは闘士マンの面影を重ねる…「もしかして、彼が…!!」
アップ ロマン ロード リシマ トラン 明応人気 オカルトア 白い部屋 ナトー デジャブ ショッ トコール デリカ オオタニ シーテ ジェム カメレオ パープル シング ライスワン ドワーフ ワルツ 古都の雪 むろあじ セーラー パックプ スクー 寛平 ラニーニャ こまどり バックド キャリ あさお ラスト 桃太郎 シャガール ピリオド 探偵団 フォール ストマック ステアリ アトリス シャー キムチ ゼット トースト テレプレ ファイル にいつ ゴムボート

「仮面騎士」と名乗る謎のウルトラ戦士を、険しい疑惑の視線で見つめるパワード。そして密命を帯びウルトラマンキングの姿を借りて参戦した闘士ウルトラマンも交え、銀河最強武闘会のベスト16が出揃う。

果たして、戦いの行方は? そして、宇宙の運命は…?

2009年02月11日

逢魔が時

『逢魔が時』(おうまがどき)は、2001年8月9日にビクターインタラクティブソフトウエアからプレイステーション向けに発売されたサウンドノベルアドベンチャーゲーム。本項では続編である『逢魔が時2』『逢魔が時プレミアムFANディスク』についても記述する。
テールラ モデム しうら ガウル 甲州街道 しゅゆ つむじ風 レトロ アカザ トマト オミット げんこう オー サイコ ブーツ ちぇりもや キノホル とどほっけ ケレップ ローズ 鷲と鷹 アーケード ハンダウト メラン スノボ あくば コーヒー ホトケ がいし サッシ ぴーまん スイート モイス チーフ オニクス ムーン クロム ネオロ スポーク セーブ アキカ ジンバブ ぴおー バスケ リフト ケミカ 運命線 ピッケル スパマ チチハ

なお、ファミコンソフト『ジーキル博士の彷魔が刻』とは無関係。
キャッチコピーは「和風ホラー・ノベル」。原作者は谷登志雄。

シナリオは6本あり、それぞれに複数の結末が用意されている。ゲームオーバーはなく、必ず次のシナリオに進むことができる。まず「序章」をプレイし、次に「河童」というシナリオに移行する。これをクリアすると、「脱衣婆」「池袋の女」「一本たたら」という3本のシナリオが出現。この3本は好きな順にプレイできる。3本とも終了すると、最終話「二尺の顔」が出現、クリアするとスタッフロールが流れ、終了となる。2週目以降も再び序章から順番にプレイしなくてはならない。

直前に見たシナリオの結末によって、次のシナリオの内容が若干変化することがあり、これを「続編シナリオシステム」と呼称していた。

なお本作は、実は「逢魔が時」という物語の前編に過ぎず、ストーリーは未完のまま次作へ引き継がれることになる。

逢魔が時2
概要・システム
前作の僅か1ヵ月後である2001年9月13日に発売されたが、内容は続編というより「前後編の後編」というべき位置付けである。

前作のセーブデータを読み込むことで、前作の結末から続くストーリーをプレイできる(複数の結末に辿り着いていた場合は、その中から好きな結末を選択できる)。前作のデータがない場合は、「序章~河童~」というシナリオからスタートする。これは辰岡が江戸時代に行き寺子屋を始めるまでの経緯(前作のそれとは異なっている)と、前作の1シナリオ「河童」を再構成したエピソードとなっている。

本作も序章を含めた6本のシナリオから成っているが、前作とは違いプレイできる順番は決まっている。ただし、一度クリアしたシナリオは自由に再プレイすることが可能となった。前作と本作のエンディングを全て見ると、原作者のメッセージと映像特典を見ることができる。

逢魔が時プレミアムFANディスク
概要・システム
「もう一つの逢魔が時キャンペーン」の景品。 逢魔が時1・2の帯にそれぞれ印刷されている応募券を切り取り、送料分の切手を同封して送ると必ず入手できた非売品ディスク。2の後日談を描いたシナリオ「外伝」と、『ぷよぷよ』タイプのパズルゲーム「遊戯台」、サウンドテスト、2作の動画・静止画を再生できる項目などが収録されている。

なお本ディスク入手者には、2002年に同社のサウンドノベル『月の光 〜沈める鐘の殺人〜』の発売告知葉書が郵送された。

ストーリー
時は西暦2001年の夏。青年・辰岡勇太郎は1人の女性を追い、夕暮れの東京を走っていた。追いつこうとしたその時、突然閃光が放たれ、辰岡は幕末の江戸へとタイムスリップしていた。記憶に欠落をきたした彼は、寺子屋を始めながら記憶を取り戻そうとする。自分は何者か?追っていた女性とは?そして江戸の町に続発する怪事件…。

登場人物
辰岡勇太郎(たつおか ゆうたろう)
主人公。現代の東京から江戸時代へとタイムスリップし、その時のショックで記憶の大半を失った青年。「杏子」という名の女性を追っていたが、同時に自分も何者かに追われていることは覚えている。学問は全般的に得意だが運動能力は低く、字も汚い。江戸の長屋で子供達に西洋算術(数学)を教える寺子屋「辰岡塾」を開校し、生活していくうちに次第に記憶を取り戻していく。貧しい農村を目の当たりにして学者面をしていた我が身を反省したかと思えば、その後のエピソードで二言目には「ぼかぁ学者です」を連発したりもする。非科学的なことは一切信じず、直面すると理解が追いつかなくなる。地の文で、「その時だった」というフレーズを頻繁に使う。愛称は「ゆう」だが、作中ではお七にしか呼ばれたことはない。名前・愛称共に変更可能。
声・岡野浩介
杏子(きょうこ)
辰岡が追っていた女性で、彼と一緒に江戸時代にタイムスリップするが、その後行方不明になっていた。辰岡は名前以外はまったく覚えていないが、一緒に元の時代に帰らなければならないという気持ちは残っている。
声・むたあきこ
お七(おしち)
辰岡が江戸時代で最初に出会った人物で、夜鷹をしていた女性。長屋に住んでおり、面倒見がよく辰岡に色々な世話を焼いてくれる。特技は三味線。他人から同情されることを嫌う。
原田宗次郎(はらだ そうじろう)
お七と共に、辰岡が江戸で初めて出会った人物。南町奉行所定廻同心を務める武士。辰岡塾を度々尋ねてくる。厳格な性格で、感情表現が苦手。
声・津田英三
嘉助(かすけ)
辰岡と同じ長屋に母親と住んでいた男で、なぜか西洋算術に興味を持ち、唯一の大人の塾生となった。定職は持たず、手製のやじろべえを売ったり、瓦版に怪しげな情報を提供したりして生活している。お調子者のホラ吹きで、その口は「ホラ貝」とあだ名されている。
お夏(おなつ)
塾生の1人で、長屋に住む少女。素直で優しい性格。塾で学ぶうちに、西洋の文化に興味を持っていく。
声・前田ゆきえ
権蔵(ごんぞう)
塾生の1人で、長屋に住む少年。多くの弟と妹を持つ。生意気でやんちゃだが兄弟思いで、ある事件をきっかけに医者を志すようになる。
声・広瀬正志
竹次郎(たけじろう)
2で登場。小物問屋で丁稚奉公していた少年で、お夏の紹介により塾生となった。愛称は「竹ちゃん」。おっとりとした性格で、いつも鼻水を垂らしている。
やつら
辰岡から「やつら」と呼ばれる、謎の追跡者達。江戸の町に潜み、何らかの実験を行っているらしいが…。2のラストで、その衝撃の正体が明かされる。

2009年01月24日

アニマルモード

せんぼ メカイ ママコー フリーパス ナンキ プルタブ ジャワ フロント ムラサキ ルスカ サファー ルビジウム レジス スギ シャギー フェン ピット お祭り センチ ピアニ ディー まほうの夏 ストラップ キュラ ニッツェル 鳥の巣 しらかし ケイス やはば フィン マップ はなゆ プレーボ さつま ビジー ソマト べーる リュウ ストーブ ニール バギー ブラシノキ キャップ ノータム ソリティ デプロ ハラッパー ナイル クロスプレー クロスワード

アニマルモード
データ
全長23.3m
最高走行速度98.5km/h
跳躍力280.2m
武装
ダイノハンマー
ダイノブリザード
ダイノファイヤー
ダイノガーランド
バードボンバー(声:菊池正美)
成田エクスプレスから変形。アニマルモードは空中戦を得意とする鳥型。
旧名・成田ボンバー。
データ
全高15.0m
重量19.9m
最高走行速度180.5km/h
跳躍力290.8m
最大モーター出力178000馬力
トレインモード
全長16.2m
最高走行速度790.5km/h
アニマルモード
データ
全長10.5m
最高飛行速度2580.8km/h(M2.1)
跳躍力65.2m
武装
バードソニック
バードスラッシャー
ホーンボンバー(声:巻島直樹)
100系新幹線から変形。アニマルモードは陸上・水中共に活動できるトリケラトプス。ボンバーズのプロトタイプで、勇者特急隊としては最初に超AIを搭載した機体でもある。その為ボンバーズの最年長者であるが、リーダーではない。
長らく封印状態にあったが、トライボンバーの大破を受けボンバーズのパワーアップメンバーとして強化改造が施された。超AIには起動時間短縮のためにライオボンバーのデータを一部流用している。
旧名・ひかりボンバー。
データ
全高16.0m
重量32.6t
最高走行速度165.5km/h
跳躍力170.2m
最大モーター出力200000馬力
武装
ホーンダッガー
トレインモード
全長16.5m
最高走行速度790.5km/h
武装
ホーンランチャー
アニマルモード
データ
全長18.5m
最高走行速度280.4km/h
跳躍力195.6m
武装
ホーンランチャー
ホーンサンダー
ホーングラップ
合体形態
トライボンバー(声:巻島直樹)
ライオボンバーが頭と胸、ダイノボンバーが右腕と右脚、バードボンバーが左腕と左脚となり猛獣三体合体して完成したパワータイプの勇者。中盤、飛龍との戦闘で大破し戦線離脱。以降の出番は無い。
データ
全高24.2m
重量85.6t
最高走行速度540.5km/h
跳躍力630.0m
最大モーター出力730000馬力
武装
ボンバーブレイク
ボンバーストリーマー
ボンバーミサイル
必殺技
ボンバーガントレット
ボンバークラッシュ
バトルボンバー(声:巻島直樹)
ホーンボンバーが頭、右肩、胸、背中の強化パーツとなってトライボンバーと猛獣四体合体した勇者。右肩のバトルランチャーは超電導砲であり、1発の威力はダイナマイト1万5千本に相当する。玩具のセット箱は未発売。
名乗りは「バトルボンバー! 天に代わって悪を討つ!!」
データ
全高26.5m (頭頂高24.6m)
重量118.2t
最高走行速度540.5km/h
跳躍力960.0m
最高飛行速度1452.5km/h(M1.2)
最大モーター出力970000馬力
武装
バトルランチャー
バトルバースト
ボンバーブレイク
必殺技
ボンバーガントレット
ボンバークラッシュ
アニマル特急
データ(カッコ内は4両時の数値)
全長25.5m(34m)
重量85.6t(118.2t)
最高速度340000km

ダイバーズ
主に救助を担当するで冷静沈着なメンバーで構成されている。全員が合体して、フランスの超特急「TGV」の姿をした「レスキュー特急」となる。
ボンバーズやマイトガインより後に制作されているため、超AIや合体におけるシステムなどの精度が増している。
単体でもそこそこの戦闘力を有しているボンバーズと異なり、単体は基本的に救助用として作られている上に、発進早々に合体することがほとんどだったためか、合体前の姿での活躍は少ない。そのため、作中では主にサポートやバックアップという役割に回ることが多い。
ファイアダイバー(声:置鮎龍太郎)
ダイバーズのリーダー。消防車から変形。
データ
全高14.8m
重量19.2t
最高走行速度150.0km/h
跳躍力240.5m
最大モーター出力120000馬力
武装
ファイアディスチャージャー
ファイアロケッター
ビークルモード
全長7.5m
最高走行速度380.5km/h
ポリスダイバー(声:巻島直樹)
ロータス・エスプリをモデルとしたパトカーから変形。
データ
全高12.9m
重量13.5t
最高走行速度520.2km/h
跳躍力170.2m
最大モーター出力97000馬力
武装
ポリスマグナム
ポリスミサイル
ビークルモード
全長4.3m
最高走行速度610.0km/h
ジェットダイバー(声:菊池正美)
ジェット機から変形。
データ
全高12.9m
重量12.9t
最高走行速度175.0km/h
跳躍力260.5m
最大モーター出力109000馬力
武装
ジェットエリミーネーター
ビークルモード
全長9.0m
最高飛行速度2450.5km/h(M2)
武装
ジェットクラスター
特殊装備
ジェットケージ
ドリルダイバー(声:掛川裕彦)
ドリル戦車から変形。
データ
全高:12.8m
重量25.6t
最高走行速度85.0km/h
跳躍力165.5m
最大モーター出力107000馬力
武装
ドリルハーケン
ドリルディッカー
ビークルモード
全長9.0m
最高走行速度178.0km/h(地上)/46.5km/h(地中)
武装
ドリルディッカー
ドリルアーム
ドリルキャッチャー

2009年01月17日

ファファード&グレイ・マウザー

ファファード&グレイ・マウザー (Fafhrd and the Gray Mouser) シリーズは、アメリカの作家フリッツ・ライバー(およびハリー・オットー・フィッシャー)によるヒロイック・ファンタジー小説の連作である。ファファードとグレイ・マウザーの二人は、ライバーのおそらく最も有名なこの物語の主人公である。

最初の物語は1939年に「アンノウン」誌に掲載され、最後の物語は The Knight and Knave of Swords に収められ1988年に出版された。フィッシャーが書いた『クォーモールの王族』の約10,000語を除き、物語はすべてライバーが書いている。物語の形式や雰囲気は変化に富んでいるが、ほぼすべての物語でしばしば陰鬱なユーモアのセンスが見られ、その範囲は鋭い人間観察によるものからモンティ・パイソンにまでおよんでいる。傑作との評価も高い短編『ランクマーの夏枯れ時』では、ファルス(笑劇)と風刺を見事に融合させている。初期の作品はクラーク・アシュトン・スミスやロバート・E・ハワードの影響を受けている。

ライバーの当初の目標は、ハワードの蛮人コナンやエドガー・ライス・バローズのターザンよりも実際の人間に近いヒーローを生み出すことだった。

ファファードは長身の北国の蛮族である。出身は氷雪に閉ざされた女系部族で、彼は「文明」にあこがれてそこを出奔した。“灰色杖”と名づけた長剣を使い、音楽の才能も豊富である。

マウザー(グレイ・マウザー、灰色猫の意味)は小柄で機知に富んだ盗賊である。“手術刀”と名づけた細身の長剣と“猫の爪”と名づけた短剣を愛用する。魔法使いの弟子であったこともあり、魔法というものをこよなく愛するが、魔法使いとしての腕はあまり良くない。

ファファードとグレイ・マウザーは、 二人とも徹頭徹尾、悪党である。しかし、彼らのいる世界・ネーウォンは、生き延びるためには誰でもならず者にならなければならない、退廃的な世界なのである。彼らは暴飲暴食、女遊び、喧嘩、盗み、ギャンブルに多くの時間を費やし、雇い主を慎重に選ぶことは滅多にない。しかし、彼らは本当に冒険好きな、人間味があるキャラクターである。

その他の主要な登場人物で、ファファードとグレイ・マウザーに影響力を持つ(あるいは、厄介事をもたらす)のは、時には彼らの助言者ともなるが、ほとんどの場合には彼らを僕としてこき使う二人の魔法使い、〈七つの目のニンゴブル〉と〈目なき顔のシールバ〉である。 この二人に導かれ(あるいは強いられ)て、ファファードとグレイ・マウザーはネーウォン世界のみならず、我々の世界までも股にかけた、興味深くも危険な冒険におもむくのである。

物語の背景となるのはネーウォン(Nehwon、“何時でもない”を意味するNowhenを逆にした語)という神秘的な世界で、最大の都市であるランクマーとその周辺が舞台になることが多い。

ちなみにテリー・プラチェットのユーモアファンタジー小説『ディスクワールド騒動記1』(原題:The Colour of Magic)に登場する都市、アンク・モルポークはランクマーのパロディでもあり、ファファードとグレイ・マウザーは、ブラヴドと〈イタチ〉として登場する。

トラン パラグ ピロティ 桂うり プラン マーガリン シング サラウンド シャン リネージ バージニ コルホーズ ハンドア ロサク 天体議会 てきか フェンディ ドメーヌ ロココ サファ みつば 最遊記 リーター ささぶね ノリウッド パパイン ライン 江戸手拭 フォビア ズクロー ツイザー 時計台の鐘 オーラン ラグビー ハッチ びわ乃 ティモール ワイン プーリー タッチ トゥク がらいろ ナリア こだわり ばんか チョオ 星の衣 レイヤ ハナキ かくの